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身体の設計にミスはない その10

身体の設計

にミスはない その10


私は、温泉に行き、今までの生き方を吟味し、検討

しました。温泉ではその年は、春にもかかわらず雪が

降りました。そのしんしんと降る雪の中、様々な思いや

悩み、これからの自分自身の活動の仕方について存分に

検討しました。気力は申し分ないけれど、身体は老いて

いく。ましてや後継者がいなければ、この仕事は終わり

になる。それでも私はいいのだろうか?今まで関わった

人々に対してどうなんだろう?私自身は完結していると

いえるのか?その大切な時間にある事件が起こりました。

 その事をきっかけに一挙に後継者問題がはっきりと浮

かび上がり、やれる人間がいなければ閉じなければなら

ないと思いました。

 それなら自分の感じる方法で、身体を休め、鍛える方

法を昂じようと思いました。それができなければ閉じる

しかないと覚悟を決めました。いつまでもいつまでも変わ

らぬ肉体があるはずもない。このことを念頭において

思い切りやってみようと決意を固めました。

 スタッフに仕事の権限移譲も大幅にしていきました。

それからは、不思議な事に外での活動が増えていきました。

日常的には、社内での仕事を減らし、テキスト作りやブログ、

深めたい研究会への参加や学習に費やしていきました。

 “心身は一如”といいます。私は一如とは、環境も

含めた関わった総てが連動していることを指すと思います。

がんを始めとして難病を患った人々を見ていて、病んで

いるのは身体ばかりではないことに気付かされます。

 生命力を立ち上げるとは、環境も含めた全人生を

見直して、新たなる意識と行動によって異なる生き方を

することではないかと思います。

それは“生命の設計にミスはない”とも言えるでしょう。

これでこのシリーズは一旦終え、次回から“台所は薬箱”

のシリーズでお会いしましょう。
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身体の設計にミスはない その9

  身体の設計にミスはない その9

もう1~2年で還暦を迎えようと言う時、しかも大切な

仕事の二日目に大吐血をしました。驚きと同時にその

仕事(8日間)をどのようにしてやり遂げるかに集中

しました。

 正直に主催側の責任者に告げました。“どうします?

やめることは出来ませんよ!”という返事でした。勿論、

途中で投げ出そうとは思いませんでしたが、わがままな

方法を提案しました。まずは、すべてのコースを実質的に

弟子にさせる。そして、他のことを受講生自らが私を体験者

として手当法のテストを行なうことにしました。

私は、実質的には横になりながらテストし、体を休める

ことが可能でした。説明や講義の内容は青息吐息でやり

遂げました。

 大阪のど真ん中でも野草はビルの間から健気に生えて

いるもんですね。ヨモギを(ちょっと硬そうでしたが。。)

摘んで洗い刻みすり鉢で擦ってほんの少量塩を入れ

飲むのです。どうやら吐血は収まりました。

食事はこの間ほとんど食べませんでした。最終日電話で、

看護師をしている友人に頼んで、変えると同時に病院での

検査ができるように手配してもらいました。ほとんど食べ

ませんでしたから、病院から“10時間以上絶飲絶食できて

ください”と言われてもそのまま行けました。胃カメラから

CTスキャン、血液検査などなど受けました。ほぼ一日中検査で、

すぐわかることのみ医師から告げられました。

 “血液検査もCTも異常無し。胃カメラでは3箇所出血の

痕跡はあるけどふさがっている”とのことでした。

“多分一過性のストレス性出血です。”後日詳しく聞きに

行っても同じ事を言われました。

 実は私自身は不謹慎にも入院(1週間ほど)したい気持ち

でした。どこも悪くないのに入院はできませんと言われました。

そこで私は一計を案じ、温泉に浸かりに行くことにしました。

この間のことが後々まで大きな教訓になっています。

 この続きはまた明日。

身体の設計にミスはない その7続き、

   身体の設計にミスはない その7続き、

さて温泉療法では、湯の中でゆるやかにマッサージ

するやら足の長さの壁際で押したり曲げたり、これが

なかなか痛みを伴い加減が難しいのです。でも毎日

励んでいるとかなり手応えがあるようになってきました。

 母は私が温泉療法をしている間は、退屈なので本を

読んだり散歩やテレビを見て過ごしていました。元来が

働く人でしたから、いい骨休みになると思いましたが、

あに図らんや8日目には、“あんた、もう帰らんか。

旅館のご飯も飽きてきたし、このへんも飽きるほど

歩いたし。仕事もせんと体が鈍ってしまうし。明日

帰ろう”というのです。私についてきてもらったん

だから、もう少し居てほしいと思いましたが、

 母も私も言い出したら聞かないのは同じです。

覚悟を決めて帰る準備をしましたが、果たして立てるか

自信はありません。イメージだけではうまくいかない

ことは先刻承知です。もう歩いて帰りたい!これしか

ないと思いながら、旅館には“家に用事ができてやむを

得ず帰ります。“と告げました。

 最後の夜は念入りにマッサージと、湯の中で立つ訓練も

こわごわしました。母は、心地よさそうな寝息を立てて

眠っています。いつまで考えていても埒が明かないと覚悟を

決めて眠りました。寝たのか寝ないのかウツラウツラしたと

思ったら夢を見ていました。

 ”いや~立てるやんか~嬉しい~“と言っている場面です。

その内ほんとに眠ってしまいました。朝です。ご飯も済ませ、

いよいよタクシーで帰る段になってちょっとドキドキしました。

思い切って松葉杖を横に立てかけました。母は事も無げに”

立てるやろ。そのくらいはやっとったがな“その一言でパッと

ちました。1本だけは松葉杖を支えながら歩いてタクシーまで

行きました。ゆっくりではありますが歩けています。

 家に帰れば、毎日毎日歩く訓練です。タクシーの中で

だんだんと歓びがこみ上げてきました。

 小さな声で母に”ありがとうございます“と言いました。

”ああ、これからのほうが長いさかい、気いつけよし“と

釘を差されました。この続きはまた明日。

身体の設計にミスはない その7

   身体の設計にミスはない その7

ショックから立ち直るのは、ほんの数分くらいだったと

思いますが、意識はガラリと変わっています。自分で

決めたら迷いはありません。温泉療法がいいと思いました。

昔から湯治場があるということは、温泉療法は効果が良い

証拠です。かって務めていた病院のリハビリでも、バイブラ

という機械で漢法の浴剤を入れて泡でマッサージする物があ

りました。骨折患者やリハビリ対象者をここに入れてから、

患部を動かすのですが、屈強そうな男性でも悲鳴を上げて

いたのを思い出します。縮んで硬くなった部位を蘇らせる

施術はとても痛いようでした。

 このことを頭において温泉療法に行こうと思いました。

一人では無理です。母しか考えられません。即座に電話で

頼みました。事故のことも話していませんから、母の返事は

要領の得ないものでしたが、家に来てもらって意向を説明

しましたが、やはりわかってもらいにくいことでした。

 医者に手術してもらわず、民間療法と温泉療法で何が

できるというのかと思っている母を“協力だけして欲しい“

に持っていくのはなかなか大変でした。

 決めたら早いのはそこは親子です。温泉療法をやって

いる病院を探すことになりました。近江温泉病院が電話

帳で見つかり、直ぐに連絡しました。残念ながらここでも

手術をしていないことと初めから経過の解らない患者は

受けられないと断られました。それでも私は、そこの温泉

の効能と近くに温泉旅館か湯治場がないか聞きました。

 聞けば答えてくれるもんですね。すぐそばに源泉がある

旅館の名称を聞くことが出来ました。

 早速調べて、2週間の予約を取りました。今のように

ネットで直ぐに予約というわけにはいきませんでしたが、

どんな感じか電話の声で気づくことも面白いのです。

 早速、タクシーで衣類や本、当面必要な物と共に母と

二人でいざ温泉旅館へ出発です。

 何かを始めると次々と小さいながらも困難は起こって

くるものです。温泉療法もどんなことになるのやら、

ドキドキ、ワクワク始まりました。この続きはまた明日。

身体の設計にミスはない その6続き

  身体の設計にミスはない その6続き

強制的に退院するには、それなりの準備が必要です。

家での手当と行動をスムーズに進めていく様々な道具

を考えました。移動はスケボーに決めました。夫に一応

相談です。なかなか気の聞いた答えでした。“畳ぐらい

なんぼでも変えたらしまいや!思うもんで動いたらええんや”

と言ってくれました。食事の準備は台所に高めの椅子を用意

するか座卓テーブルの上に台所で使う全てを用意してもらうな

ど考えていましたが、意外な展開になり長女が全てをしてくれる

ことになりました。長女は距離と時間がかかる会社に務め始めた

ばかりでしたので、初めから無理だと思っていました。馴れない

会社と家事に追われてどうなることかと思いましたが、意外に

落ち着いたもんでした。ひな祭りの献立は今でも家族の語りぐさに

なっています。

 雛寿司がお内裏様とお雛様の形に整えられて、身しじみ佃煮、

白味噌仕立てのハマグリ汁物、ほうれん草としめじの柚香りあえ

でした。私の家では毎年恒例なのですが、まさか遅く帰ってして

くれるとは思いませんでした。しかし努力の献立の完成は11時を

過ぎ日付が変わろうとする頃でした。

 お腹は空いてくるし、途中で止めときというのも憚られて待ちました。

“良う出来たなあ~さあ、戴こうか”と食べ始めたら日付が変わりました。

長女は手が遅い上に丁寧ときて、更にきちんとしなければと思う達です。

待つ方も修業です。ちょっと話がそれてしまいました。2つにわかれた

ギブスはのこぎりで傷ついています。足の保護のために補正をして、

足の上下を合わしてスケボーに乗せて、片方の足で漕ぎながら

畳の部屋を移動するのです。トイレのすぐ横に松葉杖を立て掛けて、

後ろ向けに立ち上がり、くるりと向きを変え、トイレに入るのです。

 毎日毎日びわの葉温灸を何時間も繰り返し、マコモのパスタや

里芋パスタ二股温泉パスタなどをしていきました。

 (パスタと言ってもイタリアンではありませんよ!)所謂練った

湿布薬です。指のマッサージや壁に押し当てての筋力トレーニングも

欠かせません。20代の病院努めが役に立ちます。

 勿論、イメージ療法も毎日毎晩欠かしません。退院して

21日が経った夜のことです。まさに今、靭帯が繋がる瞬間かと

思う程激しい熱を患部に感じました。痛いくらいの熱でした。

 そのまま収まるのを待ちました。多分10分くらいだったと

思いますが、とても長く感じて、そのまま寝てしまいました。

 朝、目覚めると立てるような気がしました。

 立ってみましたが、立てません!ショックです。

それからどうするか、考えました。あの出来事は間違いなく

靭帯の変化です。このまま続けるのではダメだと判断しました。

この続きはまた明日。
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ぴのこ234

Author:ぴのこ234
ようこそ!
治る力の市川加代子
勇気と希望と元気の源
台所はくすり箱

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