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はんなりおしやす ここは、あんたのくるとこ違う  ②

      はんなりおしやす
    『 ここは、あんたのくるとこ違う!』
 母とのエピソードの中で、私が一番印象に残る”離乳”と呼ぶ
出来事は、わたしの小学校二年生の夏のことです

母は、家庭の事情で、私が6歳の時、祇園のお茶屋さんに住
み込みで、下働きとして働き始めました.

 私は、母親会いたさに大人の自転車を練習して、三角乗りで
ようやく足が届くかどうかの状態で、30分以上の道のりをこわご
わ訪ねていったのです.

東大路通りは当時でもかなり交通量の多いところでした。
大きなトラックや自動車のヘリを通ることは、命がけのドキドキ、
ヒヤヒヤし通しの初めての初めて遠出でした。

 ようやく、目的地の母の勤め先を見つけたときは、2時間以上
が経っていましたが、心を落ち着けて、玄関先から、思いっき
り大きな声で、”ごめんください”と言いました。

 いきなり出てこられたのは、その家の女将さんらしき人で、
『ああ、おはなはんか!あっちの勝手口から、出てくるさかい。
そっちにおまわり!』と素っ気ない返事です。

 それでも逢えるならと、小さな木戸を開けようとしたら、ぱっと
戸があいて、母が、顔を出し一撃ノ言葉を投げかけました。
『ここは、あんたのくるとこ違う!はよ、帰ってんか!』というなり、
木戸をバタンと閉めてしまいました。

後は待てど暮らせど誰も来ず、何の音もしなくなりました。
 私は、その後、どのように家に帰りついたのか、ほとんど覚え
がない有様でした。

何故か、夕焼けが赤く、音のない世界を歩いて帰った記憶が
あるのです。それからの私は、少女雑誌の中の不幸な少女や
もらい子の主人公に共感し、訳もなく社会派気取りで、”夕焼け
グループ”なるものを結成し、善行をすることが使命のようになり
、心をそこに向け始めました。

 今から思えば、何故か泣かない勝気さと飛躍的な発想の持ち主
だったんだなあとおもいます。
今も、その名残りはあるようですが…。
 
その母の深い想いを理解するには、結婚もして子供を持つま
でわかりませんでした。
    
    この続きは、また明日。
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