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研究ということについて

    研究ということについて

この言葉の意味を私なりに考えてみました。9つの穴を

研くと書いて研究というのは、なかなか深いと思いませんか?

9つの穴即ち目、耳、鼻の穴各々2つづつ、口、肛門、

尿門何れも一つづつ占めて9つの穴。ではこれを研くとは、

何を意味するのでしょうか?磨くではなく研くにも注目して

います。ゴシゴシと磨くのではなく、物事の道理を追求し、

究め研くのです。では視覚を研く意味合いを観ると、光が

網膜を通過し、視交叉で合流し、像を結んで、視覚野で

過去の来歴で認識したものを即座に判断しているのです。

見えない部分や三次元を二次元映像に変換しているため、

視覚的には補完して認識しています。

 平たく言うと、色につけ形や動くものなど大方は想像で

埋め合わせて現実としているのです。それも過去の来歴

ですから、どんな澄みきった環境からか殆どグレイ系や

白の世界(北欧や北極など)からなのかによっても、

ニューロンの形成は違うわけですから、認識力に差が

出来そうです。それでも私達は、同じものを見ていると

いう現実から、同じことを感じていると思っています。

そこで私は、視覚でもそこにいる人に何でも感じている

ことを尋ねるとその感性の違いを発見するのです。

 そうして初めてこの世界の認識力や判断力が的確に

なってくるのではないかと思います。また自分自身に

ついて言えば、多くのものをじっくりと見ることによって、

そのものの色、形などの細かな部分や似たものとの違いを

発見するのです。例えば宝石鑑定士が宝石を見るようにです。

実際には私は近眼なのですが、尚更よく見たいと思います。

誤解があっては困るので、追加です。近眼は弱視と違います。

遠く離れた所は、見えにくいですが、近くはよく見えます。

 これも遠視や近視、乱視、弱視の人々とはなしてみたい

なあと思います。研究は面白みと深みがあって、表現力が

まだ乏しい私には、うまく伝えきれません。

   あ~あ、情けなや~

深い河を読んで

 遠藤周作さんの書かれている“深い河”を読んで

この本で、一番印象的な人物は、大津という人なのですが、

作者自身の心情をこの中に込めて、宗教心への希求が描かれ

ています。中身は、ガンジス川での風景を通じて、様々な

人生模様を克明に描かれています。中でも、戦争中の悲惨さ

から脱却出来ない人の心情が、登場人物の一人として描かれ、

インドにおけるカースト制とリンクしてガンジス川の役割の

重要性が浮かび上がってきます。主人公である妻をなくした男が、

妻の残した言葉を頼りに“生まれ変わり”や“前世”について

探し求めていくところは、なかなか奇妙な味わいが出て面白かったです。

 “生と死”がテーマではなく、“多元的な信仰について”

また“宗教心”とはなんだろうか?という問いかけにも思えました。

作者自身の宗教心が垣間見える作品でした。

 心理学的に解くのも面白いと思いました。秋の夜長は、思索に

絶好の機会ですね。
 

中心軸について

   中心軸について

昨日は、宗教と信仰について書きました。宗教は大嫌い

という人がいますが、その抵抗はどこから来ているのか、

考えてみます。一つには、自己尊厳が脅かされることへの

抵抗感だと思います。もう一つは、ダマされる(これには

金銭的なことも含めて)ことへの抵抗感でしょう。

 所が嫌いな人でも、昨日の“啓示的な事柄”と“覚=悟り

を開く”知恵と叡智とアイデアは、自分自身で学ぶと得られ

るのです。その方法が、瞑想や座禅、集中力を高めるある

訓練法です。方法をごく簡単に言いますと、瞑目(目をつむる)

して、中心軸を極僅かに意識するのです。いろんなことが浮かんで

来るかもわかりませんが、どんどんと流していくのです。

 中心軸が分かりにくければ、臍下丹田に自分の好きな宝石

(大きいサイズ)を思い浮かべ、分銅のように天地を紐でぶら

下げているイメージをします。それがあたかもピタリと静かに

収まる感じといえば解るでしょうか。慣れないうちは、時間が

かかるかもしれませんが、決まってしまうと、重さや存在感に

出会っていくでしょう。静かな呼吸も感じていきましょう。

、毎日一定の時間、座るようにしていきますと、“覚”も

啓示も得られていきます。集中力の訓練は、色紙の中心に

黒い丸を打ちます。それをじっと見つめていきます。

影や動きや色の変化が起こってきます。どんどんと流して

いくのです。時々でいいのです。

 大事なことは、毎日座る習慣と時々の集中力訓練です。

もし、上記のようなことが得られたら私に教えて下さいね。

宗教と信仰について

   宗教と信仰について

私は、若い頃から幾つもの仕事を持ち、睡眠時間も少なく

イライラしながら日々、送っていました。思い通りになら

ないことばかりで、苦しい生活を続けていました。

 そんな時、心の拠り所となる宗教に関心を持ち始めました。

 “おかげ宗教”から、“悟りを開く宗教”まで様々な精神的

拠り所が在ることに興味を持ち始めました。人は、なにか困り

事がなければ、自分の生き方を問いかけることがありません。

病気や不幸な出来事から何とか逃れたいともがきます。そんな時、

聖書の中の一節や仏教的な言葉によって、道を開いてもらったよう

に感じて、一心に努力する瞬間がありました。

 後々考えてみると、何という知恵と叡智だろうと感動しました

 宗教とは、教祖、教義、聖典、があり、原始宗教(アニミズム)、

民俗宗教(ユダヤ教)、世界宗教(仏教、キリスト教など)などの

分類があります。

 “おかげ宗教”とは、困りごとの解決が人智を超えた力で

信仰によって、なされたと感じる時の啓示的な働きをいうのです。

 “悟りを開く宗教”とは、内なる仏心や信仰の力によって

、深遠なる知恵が湧いて、困りごとの解決が自分自身を高めたり

深めたりといった本質的な理解や解決に至ることを言うのです。

 形骸化された宗教団体や新興宗教団体には、全く興味があり

ませんが、“覚”(悟り)に至る叡智や聖典は必要だと思います。

 “啓示”的な事は、ある時、切羽詰った状況で真摯な問いかけや

行動によって、起こっています。

 それは普段から培われる行動(瞑想や座禅など)や人事を

尽くす習慣、身体レベルの柔軟性、物事の観察力、自利利他

円満の思想などが必要だと思います。

 信仰とまでは行かなくても、一日に一度は自己の中心点

(臍下丹田)に心を落ち着けると、不思議に知恵と叡智と

アイデアが湧いてくるものです。やってみるべし!

人間劇場を読んで

   人間劇場を読んで

明治大学の齋藤孝さんの表題の本を読んで、すぐに

思い出したのは、渥美清さん扮する寅さんと葛飾柴又

の住人が繰り広げる下町の個性あふれるやりとりでした。

 齋藤孝さんは、小林秀雄を始めとして宮沢賢治、藤沢周平、

勝海舟、内田百閒、ニーチェ、リチャード・バックなどなど

の有名な文章から、人間の面白みや情緒の機微、成長の過程

での変容と深みなどを人間劇場と題して“技”という表現で

書いておられました。

 私は、社会や人間の奥深くに潜む闇やどうしようもない

切なさを、司馬遼太郎さんの文学的表現法によって書かれ

ている本に魅せられていましたが、この本で少し楽になる

気がしました。寅さんを思い出したくらいですから、人間の

見方が緩やかになったんでしょうね。

 どうしようもない開けっぴろげのわがままと見当違いの

自己尊厳が同居した寅さんを支える家族縁者の人間模様が

人間劇場だと思いました。その文章からその人と成りを感じ、

匂いまでもする気がします。書く人によって、その人の有り様が

手に取る様に解ることがあります。名文だからではなくて、

その人の表現力が自然に出てくるのです。

 それを齋藤孝さんは、“技”と表現されていると思いました。

 心を研ぎ澄まして、語彙に託す時、その人にしかわからない

出来事を少し客観化するのでしょう。それなのに底に厳然とある

その人が浮き立つのでしょう。

 いい本と出会う楽しみが増えました。
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