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信念の魔法

     信念の魔法

イメージ療法や信念によって、夢が実現すると言われて

いますが、御存知ですか?私の知り合いで、この方法を

使って3階建の家を手に入れた話をいたしましょう。

 彼が25歳の時です。小さな長屋暮らしで、親子4人が

暮らしていました。部屋数も2部屋と台所があるキリの

狭い長屋です。前の路地幅も3~4メートル位で狭いも

のでした。父親が早くに亡くなっていたので、母親に苦労を

かけているから、なんとか親孝行がしたいと思いたちました。

 母親に“おふくろ、なにか欲しいもんないか?”と尋ねると

、母は“何にもない。そやな~風呂があったら嬉しいなあ、

夜遅なると銭湯まで行くのが億劫になる。けど汗は流したいし。

 ”彼は“そうか~風呂か?”と言いながら、友だちに大工や

職人がいることを思い出しながら、なんとなく紙に何処に作れば

いいか書き出しました。書いていくうちにここを広くするには、

どうしたらいいか考えていくと2階建て3階建と考えが発展して

来ました。友だちに麻雀の中で、気楽に家を建てたい話をすると、

すぐに内装のカタログや材料見本が届きました。

 毎日毎日、3階建の家は、図面が出来上がってきます。さも

出来上がっているかのごとく住んでいる家族の様子までありありと

浮かんでくるようになってきます。楽しいので、一日も欠かさず、

家は、充実を極めていきました。

 そうすると、今度は本気になってきます。友人に相談すると、

銀行から金を借りたらできると言われ、初めて具体的に動き出し

ました。この続きはまた明日。

宗教と教育と心理学

    宗教と教育と心理学

人間作りの基礎となるものが、宗教と教育と心理学では

ないかと思います。そのいずれも現代では、閉鎖的で

形骸化されてきているように感じるのは私だけでしょうか?

 嘗て偉大な教育者は宗教家であり、また優れた教育実践家

でもありました。近代教育の父と呼ばれたコメニウスやペス

タロッチ、フレーベルのように宗教がベースにありて志高く

教育の道が確立しています。ふと現代に目を向けてみると、

病気や事故、不幸な出来事が宗教心の芽生えになり、それが

また新たなる世界観を拓くキッカケになっていると思うのです。

 明らかに宗教というよりも、宗教心若しくは信仰心につながって

いくように思います。考え方や判断の基準として機能していく

“信じる者は救われる”的な拠り所として。。。

 さらに深く思考が進むと、生きていく意味や目標のベースに

宗教心とも言える“利他精神”が根付いていくように思います。

よく宗教団体と宗教心を混同する人がいますが、違います。

 精神が研ぎ澄まされて、この世界に生まれたわけを考え、

自分が生かされている意味を考え、利他に生きる活力が湧いて

くるのだと思います。

家族というはずみ車

     家族というはずみ車

私が今の組織を会社にしたのは、下の子供が高校生の時、ポンと

押してくれたのが大きかったのです。次々と引越しを余儀なくされ、

幾らかの借金もあったので、40歳代で会社設立に不安がともなって

いました。全く形の見えない仕事でもありましたから、子供の一言が

なければ気持よく出発できたものやら怪しいものです。

 それは、『お母さんがやろうとしてることは、社会にとって必

要やと思う。もし、借金ができたら、私ら(夫も含めて)が返すし、

心配せんと、思い切り自分らしくやったらええやんか!』と心強い

言葉でした。もちろん今まで病気の相談に乗ってきた人々の心良い

浄財の申し出もあってのことなんですが、なんの後ろ盾もない私個

人が想いを形にする責任も感じていました。仕事にして出発する時

は意気揚々と始めたのですが、10年以上病気の相談にのってくる

中で、責任の重大さと経済的自立の難しさがひしひしと身にしみて

きた頃でしたから尚の事でした。こんな風に表現すると、応援ばか

りしてくれる家族かと思われるかもしれませんが、なかなかどうし


てシビアないのです。私が仕事の困難さに音を挙げそうになった時

でさえ、容赦はありません。また、末期状態の方のケアで、年末も

正月もなく夜昼の区別もなく走り回っていると、“自分で責任取れ

る範囲もわからんと、自分は夢中になるのはいい気持ちかもしれん

けど私らはお母さんの身体まで面倒見いひんしな!”と一蹴されます。

それでも、やらずにおれない自分の性分も十分承知の上で、やり続

、この厳しくも暖かい家族というはずみ車のおかげなのです。今に

なって思います。優しいだけの家族でなくて良かった。鍛えられ、

まされ、支えられてきたんだなあとしみじみと思うのです。

 責任の重大さと孤独も実のところ私の弾み車です。ブレーク=

打ち破る活力剤=弾み車。抵抗勢力であったり、困難であったり

するのです。それがひいては、私自身の魂を鍛え、仕事の流儀に

反映していると思います。ありがたいことです。

愛の働き

     愛は妥協しない、媚もうらない!
 
昨日は、愛と命の躍動がおおいに関連していることを書きま
したが、今日は、さらに本質的な愛の働きを書いていきます。
ある意味において、愛は厳しさを伴うものです。そのもの(人)
に対して、決して妥協しないで、本質的な働きが出るまで、
”待つ”ことをします。何度も何度も失敗したり、もうダメかも
しれないと思う場面が訪れるかもしれませんが、決して妥協
しないで、ひたすらに”待つ”のです。働きがでてこない時、
人はどうしても褒めたり、慰めたり、なだめたりしますが、媚
は売りません。引き離してただただ”待つ”こともあります。
 時間の魔物に引っかからないよう長い目で見る訓練をします。
その時完全に良き姿をイメージ化できているか(ご感すべてを
動員する)、現象に囚われていないか、で自分の思い通りに
しようとしていないか、点検が必要です。これも愛の行為ともい
えます。それは、恋愛でも言えるのですが、これは一種の病的
近視眼的状態でもあるので、なかなか難しいのが現状です。(笑い)
『あっ、私にも経験ある』と思った人は、豊かな愛の働きを知ってい
る人ですね。ある一定の時間の経過を置いて、一時的に忘れるこ
とも必要です。全く新しい発想が湧くまで、放って置きます。親子や
夫婦などは、日常的に見ると、どうしても過去や時間の経過を超越
できにくい環境にありますが、その時こそ、相手へののあり方そ
のものを経験しているともいえます。抽象的な表現では、分かり難
いかもしれませんので、身近な例を書いてみます。
 優秀な人材が、癌になったとします。一向に治る兆しが見えない時、
人は方法論を探し回ります。しかしながら、治る力は、物心両面
に渡らなければ、出て来ません。なぜなら、心が治ると思っていなければ
、食事養生も細胞レベルで受け入れがたいと認知するからです
。また、頭では治ろうとしていても、身体や環境が膠着状態では(
仕事がストレス、家族がバラバラ、時間がないなど)癒されず、
ますます悪循環を来たします。本質は、生き生きと生きたいと
思っているかなのです。自然界は、生きようとしていない人まで、
生かしません。生きる必要がある人(自然界にとって)と生きる意
欲に溢れた人を活かすものです。なんだか厳しいですね。しかし、
本人が忘れていても、愛ある家族がいれば、命の躍動が生まれて
きます。それほど愛の働きは素晴らしいのです。

愛と命の躍動

     愛の実践といのちの躍動について

 ごく最近、身近な人が亡くなったり、倒れて入院するなど
驚くことが続いて、いろんな事を考えさせられています。
命が躍動を遂げていると滅多なことでは、倒れたり亡くなっ
たりはしないものですが、”気”が低迷していたり、希望をな
くしたりしていると魔が入るというのでしょうか、あっけなく命
の終わりが来てしまう気がします。それがどのタイミングで
起こるのかは分かりませんが、一つには”愛”の存在が関係
するように思います。
 ”愛”はあらゆる物事を好転させるエネルギーになると思います。
小賢しい知恵ではなく、心からの愛の実践こそ、命を躍動させる
源なのだと思えるのです。私自身、気持ちや心構え暖かく仕事を
していると、物事がスムーズに運び、イライラしたり、不足を感じ
ていると、体の調子も整わず、仕事も行き詰まりそうに感じます。
少し穿った言い方をすれば、愛そのもののエネルギーを実践して
いると、心も体も躍動し、アイデアさえビックリするほど的確なもの
が湧いてきます。どんな困難な状況でも、心を内側に向けて、
愛そのものに包まれて、判断すると、大きなものに守られている
と感じることができます。そして、状況が好転していきます。
 目の前の状況を常識で判断していると活路が開かれません。
違うものです。まだ眠っている大きな可能性に賭けて、の実践
を行うのです。人はどうしても過去を材料に良かれと思うことを
実践しますが、それはうまく行きません。
 全く新しい意識状態=健康的で生き生きと喜ぶ意識状態
をイメージします。それにはまず、そのものへのが必要です。
批判や日常を超えたもので、ただただそのもの(人)へのの心
を注ぐのです。言葉で導こうとせず、愛の心で待つのです。
 多くの人々は、ここで自分の思い通りにしようとしますが、(それ
がたとえ善意からでも)それはうまく行きません。
 脳の構造から言っても、新しい回路を使わなければ、変わ
らないのです。わかっているけど、過去をベースに考えてしま
います。うまく事を運ぼうとすることではなく、”愛の心”で見て
いくのです。命の躍動が立ち現れて来ます。人間の能力は
、アインシュタインでさえ、数パーセントしか使われていなかっ
たそうです。推して知るべしです。私たち凡人は、まだまだ余っ
ているものです。その命の可能性に焦点を合わせるのは、
 ”愛”のエネルギーしかありません。自己愛、家族愛、隣人愛
、友情、人類愛、動物や植物環境に至るまで、全てへの愛の心
があらゆるものを好転させると言えます。結果を規定しません。
 全く新しい方向から幸運がやってきます。命の喜ぶ方向です。
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ぴのこ234

Author:ぴのこ234
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治る力の市川加代子
勇気と希望と元気の源
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